前田 利常(まえだ としつね)は、安土桃山時代から江戸時代の武将で、加賀藩第2代藩主である。加賀藩祖前田利家の四男、母は側室の寿福院。幼名は猿千代、犬千代。初名は利光。兄弟に幸姫、前田利長、前田利政など。
幼少は越中国守山城代の前田長種のもとで育てられる(長種の妻は利家の長姉の幸姫)。父に初めて会ったのは、父の死の前年の慶長3年(1598年)に越中を訪ねた折りという。関ヶ原の戦い直前の浅井畷の戦いで兄・前田利長に敗北した丹羽長重の人質となった。
長重が西軍敗北のため東軍に講和を望んだためである。そのとき長重が利常に梨を切ったという話もある。関ヶ原の戦いの後の慶長10年(1605年)に13歳で男子に恵まれなかった兄の前田利長の養子となり、前田氏を継ぐ。
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大坂の陣にも従軍している。大坂夏の陣に際しては、城方が巻き返した折前田軍中から城方に味方するようにとの声が起こったが取り合わなかったという逸話が伝わる。
1601年(慶長6年)5月11日 - 元服し、利光と名乗る。従四位下侍従兼筑前守に叙任。徳川家康より松平の苗字を授かる。
1605年(慶長10年)6月28日 - 藩主となる。
1614年(慶長19年)9月 - 右近衛権少将に転任。筑前守如元。
1615年(元和元年)閏6月19日 - 参議補任。月日不詳にて参議辞職。
1626年(寛永3年)8月19日 - 従三位権中納言に昇叙転任(同日、常陸国水戸藩主徳川頼房、薩摩国鹿児島藩主島津家久、陸奥国仙台藩主伊達政宗も同じ官位となる)。
1629年(寛永6年)4月13日 - 肥前守に遷任。
1639年(寛永16年)6月20日 - 隠居。
1909年(明治42年)9月11日 - 贈従二位。